日本人初の100m9秒台を後押ししたトレーナー

日本人初の100m9秒台を
後押ししたトレーナー

アスレティック・トレーナー後藤 勤先生(本科卒業生/GOTOHARI治療院 代表)

その時、桐生選手は駆け寄り、喜びを分かち合った

 9秒98――日本人初の大記録を達成した桐生祥秀選手が、はじかれたように駆け寄り、抱き合った相手は、専属トレーナーの後藤勤さんだった。飛び跳ねながら、メインスタンドの前に行く二人。喜びを全身で爆発させる桐生選手を、目に涙を浮かべて抱きしめる後藤さん。その姿は、アスリートにとって、アスレティックトレーナーがいかに大切な存在かを、見る人すべてに印象付けた。
 後藤さんは、日本を代表するアスレティックトレーナーの一人だ。2005年の世界陸上を皮切りに日本代表チームのトレーナーを歴任し、ロンドンオリンピックでは日本代表トレーナーを務めた。
 トレーナーをめざしたきっかけは、92年のバルセロナオリンッピックだ。
「岩崎恭子さんが水泳で金メダルを獲得し、『今まで生きてきて一番うれしい」という名言を残したオリンピックです。男子400mで、高野進さんが日本記録を更新しながら決勝に進出し、8位に入賞するのを見て、オリンピックに魅せられました。僕は高校から本格的に陸上を始めたのですが、高2の時に椎間板ヘルニアで1年間走れなくなって、暗い気持ちで過ごしていました。高野さんの活躍や出場選手たちがオリンピックにかける想い、観客の熱狂を見て、僕も世界最高の舞台に行ってみたいと思ったのです。
 でも、スポーツは大好きでしたが、競技レベルは大したことなかった。それなら、椎間板ヘルニアを治してもらった治療院で知った、アスレティックトレーナーがあるぞと、トレーナーとしてオリンピックに行こうと決意しました」

18歳で夢を抱き20年かけて達成した

 今でこそ、日本スポーツ協会公認のアスレティックトレーナーという資格があるが、当時は、トレーナーという仕事に対する日本での認知度は低く、資格もなかった。トレーナーになるには、アメリカに行って資格を取るか、体育大に進むかしかなかったのである。
 「それで地元の中京大学に進み、20歳からは『針院さとうTSSケアルームグループ』の佐藤丈能代表に弟子入りし、修行させてもらいました。師匠は、日本のトレーナーの草分け的存在で、代表チームのトレーナーもしていたので、『この人についていけば道が開けるかもしれない』と考え、ついていこうと決めました。
 中和に入ったのは、師匠も鍼灸師とマッサージ師の資格を持っていたからです。トレーナーとして仕事していくには、人の体に触れることのできる資格が必要です。それで大学卒業後中和に入り、師匠の家に住み込んで、働きながら卒業させてもらいました」
 中和を卒業し、本格的にトレーナーの仕事を始めた後藤さんだったが、代表チームのトレーナーになるまでに3年、オリンピックに代表トレーナーとして帯同できるまでにはさらに10年の歳月を要した。
「ものすごく狭き門なんですよ。オリンピックに行けるのは4年に一度、二人だけ。
 だからまずは国内のいろんな大会に連れて行ってもらって見学したり、手伝ったりししながら経験を積み、徐々にステージを昇っていきました」
 ロンドンオリンピックの代表トレーナーになった時、後藤さんは38歳になっていた。
「もう本当に、人生の全てかけてやりましたね。それぐらい18の時に強い気持ちで夢を抱いたから。何があっても諦めないぞと」

チーム桐生で、新たな夢に向けて走り出す

 2012年のロンドンオリンピックで代表トレーナーとなり、長年の夢を叶えた後藤さんは、やり切った感に満たされ、トレーナーの一線から退くことを考えていた。代表を務める『GOTOHARI治療院』を拡充し、地元の皆さんの健康増進に取り組もうと思っていました。家族と過ごす時間も欲しかった
ところがそこに、「桐生祥秀選手の専属トレーナーになってほしい」との話が舞い込む。寝耳に水だったが引き受け、2013年から今日まで続く『チーム桐生』でのトレーナー活動が始まった。
「アスレティックトレーナーの仕事は、選手を心身ともに最高の状態でスタートラインに立たせることです。そのためには、いろんな仕事がある。(トレーナーなんて)ただマッサージしているだけ、テーピングしているだけ、と思われるかもしれませんが、それはもうほんの一部。
 選手がスタートラインに立った時に、ここ痛いなとか、調子悪いなとか、なんかちょっと不安だなとか、そういうものが少しでもない状態で立たせるために、あらゆる努力をします」
そう言い切る後藤さん、桐生選手のためにはどのようなことをしてきたのだろう。
 「僕は、鍼灸とマッサージ師の資格を持っているので、ケアにも取り入れています。マッサージは毎日、鍼は週一回と、あとは身体の状態を診て、必要な時にやっています。彼って、とてつもなく練習に強いんです。周りはパタパタ倒れちゃうような状況でも、一人だけ平気でいる。やはり身体の回復能力も人一倍高い。すごいんですけど、でも自分で思っている以上に自分を追い込み過ぎると、ケガをしてしまうんです。人は、自分の防衛能力を超えるだけの負荷が身体にかかった時にケガをします。でもアスリートは、そこのぎりぎりまで追い込まないと強くならない。強い選手になればなるほどすれすれまで体を追い込める。リミッターを切って練習できる分強いんですよ。
だからケガを予防するには、すれすれまで来た時に、しっかりと疲労回復させコンディションを整えてあげることが1つ。それには鍼が有効です。あとは見極めですね。疲労にも、これ以上やったらケガに通じるものと、多少無理して走ってもいいものとがあります。そのへんを見極めつつ、しっかりと疲労回復させて、フレッシュな状態をつくってあげることを、僕は何よりも大事にしてきました。
 ケガをするのは、何かが間違っているからです。だから僕らも練習の仕方やケアの方法を変えるし、彼も考える。そうやって、僕らはここまで来ました」
 トレーナー人生の第2章で、「日本人初の9秒台」という大きなプレゼントをくれた桐生選手に対する後藤さんの愛情は深い。 「『俺はお前になりたくない』と彼にはいつも言っています。17、18歳の少年時代から、世の中の人はとんでもないプレッシャーを彼にかけ続けてきました。こんなまだ若い意気盛んな子にプレッシャーかけて、可哀そうじゃないかって。だから、身近な人間までがプレッシャーかけるのはよそうと。長い目でみてあげたいと思ってきました」

 偉大な記録をサポートしたトレーナーに弟子入りし、トレーナーをめざしたいという若者も少なからずいるが、「なかなか続かない。人生賭けますというので、僕も全力で指導すると約束したのに、半年で辞めてしまう。厳しすぎるんでしょうかね僕は」と嘆く。そして言い切る。

 「アスレティックトレーナーになるのにもっとも必要なことは、続けることですね、諦めない気持ち。これだけです」

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