永久卒業生サポート

永久卒業生サポート

中和は、卒業後も、卒業生を応援しつづけます。たとえば就職サポートの対象となるのは、在校生だけではありません。すでに卒業したOB・OGも対象となります。転職・再就職や独立開業など、さまざまなケースに対して個別で相談・協力させていただきます。国家試験の再受験をめざす方の補講も行っています。

卒業生からのメッセージ

林辰則さん

在学中も卒業してからも、
中和で学ばせてもらいました

2010年専科、2013年柔整科卒業林 辰則さん(はやし たつのり)

足掛け10年、在籍しました

 卒業すると同時に附属接骨院に4年間勤めて、その後現在の大樹グループに就職しました。
 中和を選んだのは、あん摩、鍼灸、柔整の国家資格が一気に取得できること、あとは同級生のお兄さんが通っていて「すごくいいよ」と勧められたからです。一か所で全部取れる学校は少ないんですよ。
 高校時代にやっていたサッカー部の専属トレーナーの影響で、この道に進みました。僕、サッカーでは全国大会にも出場しています。彼は鍼灸師でもあり、故障するたびにお世話になったのですが、すごく頼りになって、かっこいいなと思いました。高校卒業後、まずは専科に入り、3年で卒業してまた3年、柔整科に通いました。通算6年間通い、さらに4年間務めたので、足掛け10年、中和にいたことになります。

中和での学びが今に生きています

 いやな学校なら、こんなに長くはいられません。まず学校自体がすごくアットホームで、先生との距離も近いですし、クラスの仲間も年齢層ばらばらで、すごく面白い人たちもいっぱいいたことを覚えています。通いやすく、学びやすい環境であったかなと、今振り返ってみて思います。
 学校の周辺はなにもありませんが、車で通学・通勤できたので、不便は感じませんでした。逆に名古屋の都心だと、車はダメという学校が多いので、メリット大でしたね。14:30に授業が終わって、アルバイトに行くのにも仲間と遊びに行くのにも車が重宝しました。愛知は車社会ですから。
 鍼灸は、鍼で人の身体がよくなるということに素直に感動しました。それを自分の技術にして、治療してあげられていることに喜びを感じます。柔整は、附属接骨院時代に、ケガに対する最先端の応急処置とかもやらせてもらい、やりたいと思っていたスポーツ・トレーナーの経験もさせてもらえたことが、現在も、とても役に立っています。
 今の会社は、分院展開で5店舗を運営しており、僕の役目は、各医院の院長とのコミュニケーションを深めて、院自体の業績アップとか、院内環境、スタッフの教育ができるよう、意見を交換したり、現場の声を拾って、上にあげて、対策を立てたりする仕事です。附属接骨院で学んだ患者さんとの距離とか接し方、気持ちの汲み取り方とかがすべて役に立っています。在学中も卒業してからも、僕は中和で学ばせてもらいました。中和は伝統もありますし、学校としての業績も凄い。先生方も生徒に対して親身で、距離が近く、なんでも相談に乗ってくれるし、熱く指導してくれる先生ばっかりです。東洋医療の学校を志望している受験生のみなさんにはぜひ、中和を第一志望にしてもらいたいと思います。

水野真希さん

卒業から何年たっても、まだ学びたい、
もっと引っ付いていたいです(笑)

2011年本科卒業水野真希さん(みずの まき)

ケガを治してくれた、鍼灸に恩返し

 2011年に卒業し、附属治療所で3年働かせていただいた後、あん摩・鍼灸の治療院を地元岡崎市で開業しました。マンションの1室を借り、予約制で、往診も行っています。
 患者さんには、結構むずかしい問題を抱えた方もいます。「いろんな病院を回ったけどどうにもならなかった」と困っていらっしゃる方を治療させていただき、喜んでもらえるのはうれしいです。
 あはきの世界に入ったきっかけは、自分が大怪我を負ったことでした。10数年前、大学を出て、中国に語学留学していたときに無茶をして、ケガで起き上がれなくなった時、治してくれたのが、日本から鍼留学で来ていた鍼灸師さんでした。
 すごくありがたかったので、帰国後すぐに、鍼灸に恩返ししようと、中和に入りました。親は地元のそこそこ安定した企業に就職して欲しかったみたいですが(笑)

一生学び続ける土台を中和で作りました

中和を選んだのは、中国時代にお世話になった合気道の指導員が中和の出身者だったからです。相談したら、「本気でやる気だったら中和をおすすめしますよ」と言われて、決めました。中和は、親しい人にも勧めたくなる学校だと思います。
 勉強は、すごい厳しかったですよ。医学的なことは頭に叩き込む量が半端じゃないし、プレッシャーがきつすぎて、3年間で胃カメラを2回飲んだ位、ついていくのに必死でした。テストのときに、根を詰めすぎて、気持ち悪くて吐きそうになるんです。
 結構年長者だったので、級長、副級長にまつりあげられていましたのでね、再試験になんかなったら若い子たちに示しがつかないじゃないですか。再試験料は高いので、試験合格後には、再試験を受けたつもりで、その分を恵まれない子供たちに寄付する的なこともしていました。自分にご褒美の代わりに、社会に奉仕的な。へんな意地を張っていたのですが、それはそれで楽しかったです。中和で教わったことは、全部、今に生きています。
 たとえば鍼を打ったときの身体の反応にしても、その後の身体の動きにしても、時折、生理学や運動学の授業を思い出すことがあって、卒業してこんなに経ってようやく、習ったことが繋がって来たという感じがありましたね。当時は、一つ一つが独立した教科で、ばらばらに覚えていましたが、全部つながっている。総合的な知識の土台みたいなものが出来ているから、卒業後の一つ一つの体験が、こういうことだったんだと腑に落ちるんですね。ようやく見えて来たかなと。まだまだこれから、やるべきことがいっぱいなので、結構、いろんな勉強会に参加しています。引き出しを増やしたいんですね。お金も時間も大変ですが、それくらいやらないと。
 附属治療所の清川先生には本当にお世話になっています。今も週一回、研修生として勤めているんですけど、学ぶことも多いし、学べていないことも多いなと感じます。なのでまだ引っ付いていたい(笑)。先生から離れたくありません。

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